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広報みずまき2021年3月10日号(特集)

更新日:2021年4月23日

遠賀郡・中間市 合同企画 町の昔ばなし

昔ばなしで、まちの魅力を再発見

皆さんは、昔ばなしといえば、何を思い出しますか?
かぐや姫や桃太郎といった日本のものからグリム童話やイソップ物語といった海外のものまで、語り伝えられた、昔の人からの大切な贈りもの

遠賀郡・中間市にも皆さんのおじいちゃん、おばあちゃんが語り伝える人間味あふれる昔ばなしがあり今の子どもたちにも伝えていきたいものばかりです

今回の合同企画では各市町の昔ばなしを一つずつ紹介し、皆さんを不思議な世界へいざないます

それでは、昔むかしあるところに…

問い合わせ 役場広報係 電話番号:(代表)093-201-4321

一夜で咲いた菜の花畑遠賀町

広渡にある八剣神社のお話です。

村の人たちは毎朝お参りするのが習慣で、古くなったお社を見ては、「早いとこ修繕せんばならん」と言っていました。

ある年の春、大雨で遠賀川の堤防が切れそうになり、お社が流されては大変だと、村人たちはお社に集まり、夜も眠れずに守っていました。
みんなの願いが通じたのか、次の日は、からりと晴れわたりました。川原の中には、上流から流されてきたものが流れ着いています。
「ひのき丸太だ!これはきっと神様のお恵みだ。この材木で古くなったお社を建て直そう」

村の人たちは、流れ着いたひのき丸太を全部引き上げましたが、流れ着いた材木は上流のものだから、
役人が調べに来るはず。そこで近くの畑を掘り、そこに丸太を埋めましたが、その畑は、誰の目にもわかるほど、新しい土の色をしています。
その時、見知らぬ顔の美しい娘が「そこに菜を植えてはどうでしょうか」と言いました。
それは良い思いつきだと、今度は菜の苗を移し替え、立派な菜畑に変えました。そして、無事にお社が建て替えられるように、村の人たちは八剣神社に祈りました。
次の日、役人たちがひのき丸太が流れ着いていないか調べにやってきました。丸太を埋めた畑はどうなっているでしょう。
なんと、畑は一夜のうちに黄金色の菜の花畑に変わっていたのです!
「おー、なんと立派な菜畑じゃ。この村の者たちは働き者じゃのう」そう言い、役人たちは何も見つけることなく、通り過ぎていきました。
ほどなくして、それは立派な八剣神社が建てられたということです。村では、この日を毎年「万年願」として、お祭りをすることになりました

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    春、遠賀川河川敷に黄金色の菜の花が咲き誇ります

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    八剣神社(遠賀町広渡)の境内

不老長寿のほら貝 芦屋町

天明2(1782)年、芦屋浦の商人の男が伊万里焼を仕入れて、奥州まで売りに行きました。
ある日、津軽の山中で道に迷い、小さな川のほとりで洗濯をしていた女に一夜の宿を頼みました。男が「筑前芦屋のものだ」と名乗ると、女は「私も筑前のものです」と言って懐かしがり、男を自宅に案内しました。

女は食事と酒で男をもてなしながら身の上話をしました。「私は筑前山鹿のそばの庄ノ浦の海女の子です。私が庄ノ浦にいた頃、山鹿秀遠様が安徳天皇様をお迎えして、山鹿の東に仮の御所を構えられました。私は、磯のものをとり、時折御所に差し上げていました」。

その話の内容は600年も前のことで、男は驚きました。女が言うには、「私が病気になったとき、子どもが大きなほら貝をとってきたので、それを食べると病気はすぐに治りましたが、年をとらなくなりました。それは不老長寿の薬だったのです。やがて家族が年老いて死別した後は、豊前、豊後、四国から山陰へと旅に出て、農家の主人の妻になりましたが、年をとらないので化け物かと怪しまれ、そこを離れました。

それから各地をめぐってこの津軽にきて今の主人の妻になりましたが、またここにも居られなくなるのではないか心配です」。そして「ほら貝の殻は、庄ノ浦を出るとき、船留めの松のそばの小さな祠に納めました。帰ったらそれを探して私の子孫に私の話を伝えてほしい」と男に頼みました。男は芦屋に帰って庄ノ浦の祠で貝の殻を見つけ、女の子孫に会って約束を果たしたそうです。
このほら貝の殻は、現在、北九州市若松区乙丸の貴船神社に祭られており、毎年4月に「ほら貝祭」が行われています。

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    芦屋浦商人の販路

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    ほら貝を祠に納める女

高倉さまとコブの源助 岡垣町

糠塚から山一つ越えた尾崎村に、源助という正直者がおりました。

ある日、突然に源助の耳の下にコブができてしまい、どんどん大きくなって赤ちゃんと同じくらいの大きさになってしまいました。

いろいろな医者に診てもらったのですが、治らないので産土神の高倉さまに願掛けすることにしました。それからというもの、源助は日も昇らないうちに身を清め、休むことなく毎日毎日お参りをしました。
その姿に村のみんなは「こぶとりじいさんの話は知らんのか。神様じゃなくて、鬼に取ってもらわな」と笑っていました。

お参りを始めて数か月たった頃、源助はコブが取れた夢を見ました。起きると耳の下のコブは変わらず、がっかりしてしまいました。しかし、その日も欠かさず、高倉様にお参りに行きました。
お参りの帰りに石段でコブのあたりがヒヤッとし、おかしなこともあるなぁと首をかしげた源助でしたが、そのまま泉のそばまで来ると、いきなりコブからおびただしい水が流れてきました。

源助がコブのあったところを触ると跡形もなくきれいに治っていました。小躍りして喜んだ源助は、再びお礼参りをして神主さんに「コブを治してもろたお礼に毎月境内を掃除させて」と願い出ました。

それから源助は毎月欠かすことなく、十年も二十年も掃除を続け、その労に感謝した高倉村のみんなは源助を神社の祭りを補佐する社家にとりたて、報いました。

「正直の頭に神宿る」
誠の心を持って正直に世渡りをする人間には、必ずいつの日にか神さまの加護があるというお話です。

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    高倉神社の連続する赤鳥居

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カッパの証文 中間市

昔むかし、遠賀川の水をひいた堀川にたくさんのカッパがいました。
夏になると、このカッパたちが堀川で泳ぐ子どもたちを水底にひきずりこむので、里の者たちは、
「こりゃ、ひとつ、里のもんみんなで堀川の掃除ばせにゃあ、らちがあかん」
「そうじゃ、カッパ退治たい」
そう話し合い、堀川のせきどめの相談に庄屋様のところへ行きました。
そうした騒ぎが続いた、ある蒸し暑い夜のことです。
堀川のせきの番人のとめさんが唐戸のせきでたばこを吸っていると、子どものような声がしたので、あたりの暗やみに向かって、たずねてみました。
「だれかな、耳なれん声じゃが」
「わしら、こん堀川にすむカッパどもの頭としてお願いにきました。なんでもあすから、せきどめばしてわしらを退治ばするちゅうことですが、そればかりはお許しください。こんごはいっさい村の子どもたちを水の中にさそいこまんごと、かとうちかいおうて、ここに一通の証文ばもってきとるとです。どうか、よろしゅうにたのみます...」
と言うとすぐに、ドボーン、ダブダブ...と水音をたて、声も姿も消してしまいました。とめさんの足もとには、まぎれもない一通のわび証文が置かれていたのです。

ひとふで、おねがいもうします。わしらいちぞくのもの、きょうより、子どもとむすめを、かわのなかへひきこむこと、あいやめまする。よって、ほりかわのせきどめは、おやめくださいませ。ほりかわ、かっぱいちぞく。

今でもこの証文が残っているそうですが、さて、どうでしょうか。

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    中間唐戸のせきの水門付近

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日本武尊と砧姫(きぬたひめ)水巻町

昔むかし、熊襲との戦いのため大和朝廷の「日本武尊」が九州に来た時、船を遠賀川に乗り入れ、水巻町の立屋敷の中州で長旅の疲れを癒やしていました。

尊が水辺を歩いていると、どこからともなく、「トントン・トントン」と砧を打つ音が聞こえ、その音を頼りに、あしの茂みをかき分けていくと、一軒の粗末な家がありました。不思議に思った尊は、娘に声をかけました。娘は「砧姫」といい、「もとは都で宮中に仕えていましたが、わけあって都を離れ、この地で暮らしています」と話しました。かわいそうに思った尊は、姫に自分の身のまわりの世話をさせていましたが、いつしか、二人は好きになり、愛が生まれました。

熊襲との戦いが終わり、尊と姫は立屋敷の館で幸せな日々を送っていましたが、尊には東国の蝦夷との戦いの知らせがあり、都へ帰ることになりました。楽しい幸せな日々は短く、別れる時がきました。尊は、大切な愛の印に、一本のイチョウの苗木を植えて、大和の国に帰りました。この樹が、今の八劔神社の大イチョウと言われています。

それからまもなく、姫は砧王を産みました。姫と我が子を思う尊の愛が伝わり、イチョウの樹は大きく育ち、枝には母の乳房を思わせるコブがいくつもできました。いつの頃からか、その皮を煎じて飲むと乳がよく出ると広まり、近くの村々から、お母さんたちが皮をもらいに訪れていました。尊が住んでいた立屋敷の館跡には社を造り、祀ったのが八劔神社といわれています。

 

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    絵:佐藤幸乃 著「砧姫物語」より

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    絵:佐藤幸乃 著「砧姫物語」より

私たちの住む遠賀郡・中間市の昔ばなしはいかがでしたか。

今回は地域に伝わる昔ばなしの中から、各市町の広報担当者が1話ずつ選んで掲載しました。このほかにも紹介しきれなかったものがたくさんありますので、興味のある人は、各市町の図書館で調べてみてください。また、昔ばなしの舞台になった場所を「聖地巡礼」のように訪ねて、雰囲気を味わうのもおススメです。
昔ばなしは、長い年月、親から子へ、地域の年長者から地域の若者へと何世代にわたり、語り継がれ、途絶えることがなかったものです。今回の企画は、私たち広報担当者にとって、昔ばなしから町の過去をのぞく良いきっかけになりました。また、地域にはボランティアで、昔ばなしのイメージに合わせイラストをかいたり、紙芝居を作ったりしている人もいて、その活動のありがたさにも気づかされました。
今回の昔ばなしを読んだ皆さんも、次は語り手となって、この話の場所はあそこかな?と話しながら、子どもたちに語り伝えてください。

おしまい

遠賀郡・中間市 広報担当者 一同

このページの担当部署

企画課 広報係
電話番号:(代表)093-201-4321