オランダ交流の歩み
更新日:2021年1月19日
ドルフ・ウィンクラーさん(1917-2009)
第二次世界大戦中、オランダ兵捕虜として水巻町に収容。終戦後オランダに帰国し、インテリアデザイナーに。
1985年水巻町を訪問。これがきっかけで「十字架の塔」が整備されるなど、水巻町とオランダの交流の架け橋的存在。
水巻町とオランダのノールドオーストポルダー市との交流は、ドルフ・ウインクラーさん無しに語ることはできません。ウインクラーさんがまいた「交流」という種に、多くの人が水をやり、芽が出て、たくさんの花が咲いたのです。
こうして心を通わせるようになった現在ですが、過去には悲しい歴史があったのです。それを下にまとめましたのでご覧ください。
水巻町とオランダとの関わりの歴史
水巻町とオランダとの関わりの歴史は第二次世界大戦にまでさかのぼります。
第二次世界大戦の序盤、日本は南方で戦局を優位に進めており、それにともなって多数の連合国軍兵士が捕虜として日本国内に送還されてきました。その内の一部である1,000人以上もの人が、当時の古賀区にあった豆炭工場の脇の収容所に収容され、炭坑の強制労働に従事させられます。
捕虜としての扱いは、万国赤十字社の規定にのっとってはいたものの、坑内での作業は過酷を極め、また食習慣の違いなどからくる栄養障害や度重なる事故などにより多くの尊い命が失われました。
1945年、日本は戦争に敗れ、生き残った捕虜たちはそれぞれの本国へ帰還します。
同年、亡くなった捕虜53人の慰霊碑として古賀山中に「十字架の塔」が建立されました。
1987年には、元オランダ兵捕虜とその家族で結成された慰霊団が訪問、1989年にはオランダの小学生などからチューリップの球根が届けられるなど、不幸な歴史にも関わらず水巻町とオランダの人々との交流は続きました。
なかでも、日蘭中学生交流事業は1996年から2019年までの24年間にわたり実施され、日蘭で合計260人の中学生がそれぞれの国にホームステイすることで、貴重な異文化交流となりました。現在でも「十字架の塔」にはオランダからの慰霊団が訪れ、献花式が行われています。
このようなことから水巻町では平和と国際理解に対する意識が高く、1996年には、世界の恒久平和を願って「平和都市宣言」を行うまでになり、町内の小・中学校では平和教育も盛んに行われています。
西暦 | 主なできごと |
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1939年 | 第二次世界大戦が始まる |
1941年 | 日本軍のパールハーバー攻撃をきっかけに太平洋戦争勃発 |
1942年 | イギリス兵ピーター・ローズ氏がシンガポールで日本軍の捕虜になる オランダ兵のドルフ・ウインクラー氏がインドネシアで日本軍の捕虜になる タイメン鉄道で強制労働 |
1943年 | ピーター・ローズ氏折尾捕虜収容所入所 |
1944年 | ドルフ・ウインクラー氏折尾捕虜収容所入所 |
1945年 | 第二次世界大戦終結。外国人捕虜解放される 古賀山中に「十字架の塔」建設 ピーター・ローズ氏イギリスに帰国 |
1946年 | ドルフ・ウインクラー氏オランダに帰国 |
1947年 | ウインクラー氏再びインドネシア戦線へ |
1948年 | ウインクラー氏除隊、オランダに帰国。インテリアデザイナーに |
1970年 | ピーター・ローズ氏戦後初めての来日。以後4回来日 |
1985年 | ウインクラー氏、カリー夫人と来日。田村氏(日本炭礦高松炭砿指導員)と再会 |
1986年 | ウインクラー氏がオランダ大使館ヒンズ一等書記官と水巻を訪れ、十字架の塔の整備を要請 日本炭礦高松炭砿より町に十字架の塔を移管 水巻町の「十字架の塔・平和と文化を育む会」が、草刈りを呼びかける |
1987年 | 水巻町役場、「十字架の塔」の第1期工事を完了。銅板(水巻町で亡くなったオランダ兵53人分)設置 3月第1回献花式。ウインクラー氏来町 9月第2回献花式。ウインクラー夫妻他3名、オランダより来町 (以降、献花式は毎年行われる) |
1989年 | 「十字架の塔」の第2期整備工事完了。銅板(全国で亡くなったオランダ兵を合祀816人分)設置 11月第3回献花式 オランダの子ども達からチューリップの球根(10,500個)が届けられ、町内の学校や幼稚園などの施設へ配布 |
1993年 | オランダ駐日大使、「十字架の塔」に献花 |
1994年 | 10月オランダ駐日大使夫妻、外務省明石氏「十字架の塔」に献花 主催 日蘭チルドレンクラブ 黒河悦子さん、長田真理さん、杉本沙知さん、磯野愛さん、福田ようこさん(水巻南中学校3年生) |
1995年 | 水巻町長、議長、黒河省二氏他オランダを訪問し、行政の訪日を約束。日蘭中学生交流を申し入れ ノールドオーストポルダー(オランダ)のクリップ市長が来町し、日蘭中学生交流開始決定 |
1996年 | 日蘭中学生交流開始(以降、2019年まで毎年交流が行われる) 「水巻町中学校」第1回ホームステイ派遣・オランダ中学生ホームステイ受け入れ 水巻町の「十字架の墓標・平和と文化を育む会」が慰霊団の受け入れを開始 |
1997年 | 外務省招待ノールドオーストポルダー市視察団10人が来町・献花式 |
1998年 | 銅板(53人分)の修復 慰霊団の「JIN」来町(以降、毎年来日) 「EKNJ(旧日本軍捕虜および親戚団体)」、オランダ国立戦争歴史資料館関係者来町 |
1999年 | 「EKNJ」・「JES(対日道義的債務基金)」来町 |
2000年 | 4月オランダ外務大臣来町。5月水巻オランダ交流祭開催。第17回献花式 日蘭修好400周年記念。ウィンクラー氏、水巻町中学校にモザイク画贈呈 「十字架の塔」銘版到着 ノールドオーストポルダー市による日蘭中学生交流が終了 日蘭虹の架け橋計画のため「EKNJ」・「JES」来町 「EKNJ」会長にポール・ニンセン氏 |
2001年 | ボランティア団体「日本友の会」(会長アルバート・エミンク氏)による日蘭中学生交流が開始 「EKNJ」・「JES」来町 |
2002年 | 「SAKURA会」来町(以降、ほぼ毎年来日) 「EKNJ」・「JES」来町 |
2003年 | 黒河博氏および黒河享一氏、外務省助成によりオランダ国訪問 田中町長がノールドオーストポルダー市訪問 「EKNJ」・「JES」来町 |
2004年 | オランダ視察団(「日本友の会」)来町 「EKNJ」・「JES」来町 |
2005年 | 「EKNJ」解散 |
2006年 | 「戦争被害者の会」来町(以降、毎年来日) |
2007年 | 在オランダ日本大使館 参事官 山本信明氏来日、「十字架の塔」に献花 「日本友の会」会長夫妻来日 |
2009年 | 在オランダ日本大使館渋谷實大使来日、「十字架の塔」に献花・吉田小学校で平和講演 |
2019年 | ボランティア団体「日本友の会」による日蘭中学生交流が終了 |
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