「堀川 吉田・大膳間切貫」が福岡県指定史跡になりました
更新日:2024年4月12日
令和6年3月29日付けで水巻町吉田東から八幡西区大膳にまたがる堀川の切貫(車返切貫)の区間が
県指定史跡「中間唐戸」の追加指定という形で「堀川 吉田・大膳間切貫【ほりかわ よしだ・だいぜんかんきりぬき】」との正式名称で県指定史跡となりました。詳しくはこちら
江戸時代に筑前福岡藩の黒田長政による遠賀川洪水の防止と治水のために計画された開削は途中
長い工事中止と難所(当時の吉田村・車返)の工事を経て、文化元年(1804)にようやく完成しました。タガネやツルハシなどの工具を使用して強靭な岩盤を切り出した跡が残っており、9年間の
大規模な土木工事の状況がうかがえるものです。江戸時代の開削された切通しは国内最大規模となります。
昭和初期までは、石炭の輸送路として川ひらたが運航し繁栄しましたが、時代が進むつれ汚染がはじまり
問題となってきました。改善するための工事や住民や行政が一体となり保存に向けた河川の浄化、保存活動が行われ、流域の北九州市、中間市との文化財保護部局が協力して専門家を交えての「堀川文化財総合調査」を平成27~28年(2015~2016)に実施し、堀川の重要性と歴史的価値を更に再認識できました。
令和元年(2019)には文化庁の「歴史の百選」にも選ばれました。
それから5年後、このよう福岡県指定史跡に決定されたことで、長い期間の多くの方々のご支援、ご協力に感謝いたします。
今後も「堀川 吉田・大膳間の切貫」をより多くの方々に知っていただけるよう、保存やPR活動にも力を入れてまいりますのでよろしくお願いいたします。
県指定史跡「中間唐戸」の追加指定という形で「堀川 吉田・大膳間切貫【ほりかわ よしだ・だいぜんかんきりぬき】」との正式名称で県指定史跡となりました。詳しくはこちら
江戸時代に筑前福岡藩の黒田長政による遠賀川洪水の防止と治水のために計画された開削は途中
長い工事中止と難所(当時の吉田村・車返)の工事を経て、文化元年(1804)にようやく完成しました。タガネやツルハシなどの工具を使用して強靭な岩盤を切り出した跡が残っており、9年間の
大規模な土木工事の状況がうかがえるものです。江戸時代の開削された切通しは国内最大規模となります。
昭和初期までは、石炭の輸送路として川ひらたが運航し繁栄しましたが、時代が進むつれ汚染がはじまり
問題となってきました。改善するための工事や住民や行政が一体となり保存に向けた河川の浄化、保存活動が行われ、流域の北九州市、中間市との文化財保護部局が協力して専門家を交えての「堀川文化財総合調査」を平成27~28年(2015~2016)に実施し、堀川の重要性と歴史的価値を更に再認識できました。
令和元年(2019)には文化庁の「歴史の百選」にも選ばれました。
それから5年後、このよう福岡県指定史跡に決定されたことで、長い期間の多くの方々のご支援、ご協力に感謝いたします。
今後も「堀川 吉田・大膳間の切貫」をより多くの方々に知っていただけるよう、保存やPR活動にも力を入れてまいりますのでよろしくお願いいたします。