堀川 吉田・大膳間切貫
更新日:2024年4月12日
堀川は江戸時代に開削[カイサク]された八幡西区楠橋[ヤハタニシククスバシ]から洞海湾[ドウカイワン]まで全長12キロメートルの運河である。このうち吉田村車返[ヨシダムラクルマガエシ](現水巻町吉田東)から折尾村大膳[オリオムラダイゼン](現北九州市八幡西区大膳)にかけての区間は宝暦元から9年(1751~59)の堀川開削工事の中で一番の難所であった。この工事で硬い岩山を長さ456メートル、幅5.4メートル、高さ20メートルにわたって石工という専門技術者が9年間の歳月をかけて切貫いた。専門家の調査では江戸時代において切通し区間をもつ運河の中では全国一長いものであり、崖面に残る工具痕からは、矢[ヤ](くさび)やツルハシのような道具を使い複数の技法で石材を切り出していたことがわかった。
開通後は周辺の田畑の水を潤し、物資の流通に貢献した。切り立った崖[ガケ]は屏風[ビョウブ]を立てたような風景とも表現され、観光地にもなっていた。また、平成17年(2005)の調査では、川ひらたの接岸施設[ゴガンシセツ]や石工[イシク]たちが刻んだと思われる「文」「三尺五寸」[サンシャクゴスン]などの線刻文字[センコクモジ]もみつかっている。令和元年(2019)10月に堀川全体が文化庁の歴史の道百選に追加選定された。さらに、切貫部分は令和6年(2024)3月29日付けで福岡県史跡に指定されている。
フリガナ | ホリカワヨシダ・ダイゼンカンキリヌキ |
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採集地・出土地・所在地 | 吉田東3丁目地内 |
年代 | 江戸 |