石造宝篋印塔
更新日:2020年11月4日
宝篋印塔とは「墓標」[ボヒョウ]「供養塔」[クヨウトウ]などに使われる仏塔[ブットウ]の一種。この2基はもとは水巻町吉田字松ヶ谷[マツガタニ]の常盤台[トキワダイ]炭鉱社宅(現吉田南5丁目付近)の丘陵上にあったものを、昭和42年(1967)に吉田字イワゼの旧寂光院[キュウジャッコウイン](現吉田西4丁目)に移設され有志の方が管理していた。管理する方がいなくなったため、令和元年(2019)水巻町に寄贈され、現在地に移設された。当初は、お大師[ダイシ]様などの像とともに祀[マツラ]られていたらしい。歴史的背景などは不明。考古資料としてみた場合、1号は丁寧なつくりで型式的に南北朝期のものであり、保存状態がよく価値の高いもの。他と比較すると福岡県下でも最も古く位置づけられるものは福岡市志賀島[シカノシマ]神社の石造宝篋印塔が南北朝初期(1347年)であり、これよりもやや新しいものである。他に、指定されたもので同時期のものは2件程度であり希少なものである。2号は宝篋印塔が形骸化し、宝塔との折衷形[セッチュウ]の様相をもち、消滅期[ショウメツキ]である17世紀に属する資料と考えられる。
フリガナ | セキゾウホウキョウイントウ |
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法量 | 1号全高192センチメートル、幅74センチメートル、2号全高124.5センチメートル |
数量 | 2 |
採集地・出土地・所在地 | 伝吉田字松ケ谷→吉田字イワゼ→古賀3丁目 |
年代 | 南北朝 |