日炭労組のハチマキ
更新日:2020年11月9日
昭和35年から39年(1960年から1964年)頃昭和21年(1946年)に各坑労組がまとまり日炭高松労働組合が結成されました。昭和24年(1949年)日本炭鉱労働組合(炭労)に加入し労働条件の改善を積み重ね着実に力をつけていきました。昭和27年(1952年)カッペ採炭による合理化に反対する賃上げストライキ「六三スト」を2か月にわたり行いました。これを機に鉄鋼業界のエネルギー転換が進んでいきました。昭和34年(1959年)三井三池争議で炭労の傘下で日炭高松労組は連日のように組合員を動員するなど全面的な支援を行い最大の貢献をしましたが、これ以降は戦線から離脱していきました。一方、会社は慢性的な赤字経営が続き、昭和36年(1961年)は会社側からの出炭量の増加を目標とした作業能率引き上げと賃金の引き下げ提案に対し100日ストを行いましたが、妥結せざるえませんでした。昭和38年(1963年)、会社側の合理化案に対しストライキを行いますが、「会社の息の根をとめるようなたたかいはできない」と合理化案を受け入れました。その後も離職者が相次ぎ、昭和46年(1971年)閉山を迎えることとなり、組合も解散しました。
フリガナ | ニッタンロウソノハチマキ |
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材質 | 布 |
法量 | 6×95.5センチメートル |
数量 | 1 |
年代 | 昭和(戦後) |